策略を練る
「殿、次の戦についてのお話が。」
軍議が終わって数刻後、曹操の室を郭嘉が訪ねた。
夜ということもあり警備にあたっていた許チョを下がらせ、曹操が楽しそうな目で促す。
「あとで個別に言いにくるということは、機密事項なのだろう?」
「お気遣い、有り難うございます。」
許チョと入れ違いに室に入った郭嘉は拱手したまま一拍の間をおいて尋ねた。
「時に殿。殿は私を信用してくださっておりますか?」
「何を馬鹿な。信頼しておらんものを室に入れるわけがなかろう。」
呆れた声で曹操が言う。
「さぁ、聞こうか。優れた軍師の奏でる歌を。」
パリッと乾いた音が開始の音をたてた。
(……パリ?)
不意に響いた音に疑問を抱いた郭嘉は、軍略を話すことを忘れ、思わずその発生源に目を遣った。
「……殿……?」
「何だ?」
視線がいったのは、曹操の手元。右手の先。
「一体、何を、召し上がっておいでです。」
視線を外したいのに外せない箸ではさまれた、物体。
まさか、まさかと思いつつ、頭に浮かぶ、ひとつの単語。
「これか?」
ずいっと向けられたそれは足が6本。
「こやつらのせいで飢饉にあったが、案外、いけるクチだということが解ってな。」
横長の、から揚げ。
「食べてみるか?イナ…」
「とんでもございませぬ!!」
曹操が言いかけた単語を郭嘉が慌てて遮った。
「その名を口にするのもおぞましい…!」
服が長くて、本当に良かった。
鳥肌のたった自分の腕を片手で抑えつつ、郭嘉はそう思った。
「そうか?案外旨いぞ?」
どうだ?と言わんばかりに、曹操がずぃ、と箸を向けてくる。
「…ッ!!もう、2度と、吾の、半径5メートル以内に、近づかないで下さいませ…!!!」
もはや軍略どころの話ではなかった。
本気で、明日にでも空から槍でも降ってくるのではと思いたくなるほど、珍しい光景。
「……コレが苦手なのか?」
思わず問いかけた曹操を、郭嘉がキッと睨む。
「そのようなもの食すくらいならば、吾は無様に飢え死にしようとも一切後悔いたしませぬ!」
「喰わず嫌いするなどと、この飢饉にそのような贅沢がいえぬことくらい頭のいいおぬしなら解っておろう?」
言っていることは至極当然。いや、それ以上なのは確かであるのに。
頭でわかっていても、受け入れられないことのひとつやふたつ誰にでも、ある。
とくに、この場合、曹操の目が、愉快で堪らないといったふうに笑っているのだから、性質が悪い。
退いたことなど数えるほどもない郭嘉の足が、じりっと自然に後ろへ下がった。
「殿。吾は気分が優れませぬ故、本日は、これにて失礼させていただきます。」
これ以上ここにとどまるのは精神的に悪いと判断した郭嘉が珍しく逃げの一手をうった。
「そうか?なら送っていってやろう。」
普段言わない言葉をあえて選ぶ曹操の素晴らしい性格具合に眩暈がしそうな気を覚えつつきっぱり返す。
「結構でございます。そこまで病弱ではありませぬから。」
「心配くらいさせたらどうだ?」
そうこうしているうちにどんどん曹操と郭嘉の距離が狭まってしまう。
なぜか、右手には未だ箸をもったままで。
「…お戯れはおやめ下さい。無意味な時間の過ごし方は上策ではございませぬ。」
「無味ではないぞ。儂の大切な軍師なのだから心配するのは当然だろう。
それとも何か。儂が行きたい場所に行ってはならない理由でもあるというのか?」
郭嘉の背中につめたい汗が伝う。
「ならば、吾が行きたい場所へどう行こうとも、理由は必要ありませぬな。」
「それは上司命令で却下だ。」
普段高速で回転する頭脳も、目の前のイナゴに気を取られてうまく回らない。
「…それでは職権乱用でございましょう?」
「何をいまさら。それにおぬしは儂の大望を成し得る者。儂から離れる訳がなかろう。」
「……っ」
ようやく搾り出した言葉も、曹操の思いがけない返答に、形を残さず崩れ去った。
そんな郭嘉の一瞬の隙をついて、曹操が右手に箸をもったまま、左手で郭嘉の腕を捕まえる。
「ほら。」
「殿!!!」
この後に待ち受ける仕打ちを想像したのか、郭嘉の声が焦りを含んで跳ね上がった。
振り払おうにも力は遠く及ばない。
そのうえ、自分の背後は、さすが曹操の私室と思わせるにじゅうぶんな分厚さのある扉。
もうだめか、と目を瞑ったその時。
「その辺で止めておいてやれ。孟徳。」
「夏侯惇どの…!」
背後の扉が突然開いた。
重力に導かれるまま後ろへ倒れこんだ郭嘉の体を夏侯惇が途中で受け止める。
「誰にだって好き嫌いはあるというのに。無理強いはよくないと思うがな。」
かくいう夏侯惇もイナゴは嫌いなのか、軽く眉間に皺がよっていた。
「なんじゃ。元譲。邪魔しおって。」
珍しい奉孝が見れたのにと愚痴る曹操は、その時、自分の大失言にまだ気づいてはいなかった。
拗ねたようなしぐさでぽりぽりイナゴを食べる。
「おい、孟徳…。」
「………殿。」
あきれ返った声で窘める夏侯惇の腕のなかで、いつもの調子を取り戻した郭嘉の表情は冷たく硬い。
「…今回の件で、殿という人がどういう人物であるのか、よく解りました。」
ありがとう、と小さく告げて夏侯惇から離れると、郭嘉はすっと形だけの礼をして部屋を出た。
「奉孝!」
「この仕打ち、吾は一生忘れませぬから。…語覚悟の程を。」
慌てて呼び止めた声に対して郭嘉はそのまま一歩も立ち止まらずに立ち去った。
「元譲…。」
「ん?」
「やりすぎたかのう…。」
「…かなりな。」
夏侯惇が呆れ声で落ち込む従兄弟を慰める。
「今度、ちゃんと謝っとけよ。」
これではどちらが上か解らない。
軽く頭痛がしそうだ、と頭を抑えた夏侯惇を横に、曹操は深いため息を零して呟いた。
「…しまった。軍略、聞くの忘れておった。」
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大飢饉、イナゴ、戦争。
現在、北方版の次に、吉川版を読んでいるのですが。
この時期のこの流れを見た瞬間、私の頭にはイナゴパレードが。。(涙)
イナゴ…食べたことないのですが、ていうか、虫とか私、絶対食べれないので…。
戦記版とかの郭嘉は、結構向かうところ敵なし吾最強、みたいな感じするのですけれど
うちのはあく抜きされた蓮根みたいな。(え)
だから本気でダメな弱点とか欲しくて、捏造しちゃいましたです。
中国でいうイナゴはトノサマバッタらしいのですが、しかも日本とちがって群れをなして飛ぶとか。
でもトノサマのカラアゲも調べたらあったので…かくいう私も虫は食べれませんし、キライです。
でも、カエルは結構、ササミみたいで美味しかったです。
ところで、タイトル、微妙に有ってない気もするのですが…(笑)
実はこれ、続きます。(え)
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