あるじと
空を見るのが、好きだった。
朝、昼、晩と、時間の移ろいに連れて色を変えていく様を見るのが好きだった。
変幻自在にその姿を変える彼を見るのが、好きだった。
「こら。そのような処に座りおって。風邪でもひいたらどうする。」
いつものように、城壁の上に腰掛け、星をみていた郭嘉の背後から、曹操の声がした。
「これは殿。このような時刻に供も連れずに出歩かれるなどと、いささか無用心なのではございませぬか?」
くるり、と体を半分向けて答える。
曹操に対してこのような仕草でも許されるのは郭嘉だけだろう。
「何をいう。お主の方こそ危険ではないか。」
城壁の上、見下ろせばかなり遠くに地面が見える。
落ちたなら、即死間違いない高さの城壁のくぼみに郭嘉は何を掴むでもなく、ただ腰掛けていた。
落下だけではない。
いつ何処で刺客が狙っているのかも解らないというのに。
「その時は、助けてくださるのでしょう?」
小さく笑って視線を空へ戻す。
「奉考…お主というやつは…。」
背後からため息が聞こえたその直後、ドサリと隣のくぼみから音が聞こえる。
「???」
見やったその先には自分と同じく腰掛ける曹操の姿。
「…殿、危のうございますよ。」
「その言葉、そっくりそのまま熨斗をつけて返してやろう。」
「これは手厳しい。」
郭嘉は苦笑しながら、また空へと視線を移した。
「さっきから何を見ておる?」
しばしの沈黙のあと、不思議そうな声質が夜の空気に響いた。
「殿ともあろうお方が、空という単語すらも、お忘れで?」
「茶化すでない。儂に隠せると思うなどと言語道断。さぁ、白状せい。」
ごまかそうとした郭嘉に、真剣な声で曹操が言う。
言うべきか言うまいか戸惑ったのか、僅かな間のあと、
「殿には敵いませぬ…。そこまで見通してらっしゃるとは。」
視線を大地へと移した郭嘉がつぶやいた。
「ただ単に空を、見ていただけだったのですよ。最初は。」
普段の彼らしくない、細い声。
「空が、吾は好きなのです。風に吹かれて、空を見る。それだけで幸せだと思う時もありました。
ですが、最近、雄大なそれを見ていたら、自分があまりにも小さく思えまして。」
聞こえてきた言葉に、曹操はわが耳を疑った。
「空は一瞬たりとも同じ姿で在ることは有りませぬ。1分1秒ですらも惜しんでその姿を変えていく。」
これが本当に、あの"郭嘉"なのだろうか?
「そんな空の中に、自分は何を遺せるのだろうか、と思うと」
自分の知らない郭嘉が自分の知っている郭嘉を飲み込んでしまうかのような不安がよぎる。
「儂は此処におる。」
思わず、曹操は郭嘉の言葉を遮って言った。
隣のくぼみに座っていたはずだったのに。
いつのまに傍にきていたのか、郭嘉の肩を掴んで振り向かせる。
「空などに、儂も、この世の天下も存在せぬ。ちゃんと此処を見よ。」
思わず目が点になる。
「…何じゃ。言いたいことがあるなら言わんか。」
言ったあとから、自分の発言に照れたのか、それとも驚いたまま固まった郭嘉に戸惑ったのか。
曹操は少し焦りながら視線を逸らした。
「いいえ。」
そこで気づいた。
「いいえ、殿。吾が身には勿体ないお言葉、有難うございます。」
空を殿だと思ったなどと。
一言も言ってはいないのに。
「嬉しくて、驚いてしまっただけにございますから。」
嘘ではなく、本当に。
この人の元で働けたことが心底嬉しいと感じた。
「…今日は何やらやけに素直じゃのう…。」
素直すぎて不気味だとかなんとか呟きつつ、歩き出した曹操の背を見ながら、郭嘉は城壁から降りた。
「口に出さないと伝わらぬこともございますから。」
でも、まだ言っていないことがひとつだけ、ある。
自分が空を、特に夜空を見ていた本当の理由がひとつだけ。
曹操が、途中で自分を遮ってくれて本当に良かった。
あのままでは、言ってしまっていたかもしれない。
「どうした?奉孝。」
降りたまま歩き出そうとしない郭嘉を不審がって、曹操が振り返った。
「なんでもございませぬ。」
にっこり笑って曹操に言う。
「さぁ、夜風が吹いて参りました。室に戻りましょう。」
どうか願わくば。
この身朽ち果てるその瞬間まで、どうかこの空と共に…。
見上げた南の夜空に、細く短く一筋の流れ星が堕ちた。
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記念すべき三国話1作目です。
空を曹操とかけてみました。
1作目なのに何でこんなに暗いんでしょう。(暗いの大好きですから…)
城壁の上に座ってる場所…イメージできますでしょうか…?
凸凸凸ってなっている壁の凹み部分に郭嘉座ってる感じなのですが…。
無双4でいえば、OPで孫堅パパが立ってた場所ですネ(爆)
このお話の時期でいえば、郭嘉発病後。まもなく赤壁あたりな感じでしょうか。
自分の余命を自覚した日な感じです。。
手元に演義がないので、そろそろ買うべきかどうか悩みます。
図書館で借りただけでは無理が…(笑)
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